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夢は枯野を…

はは、私 やっぱり根っからの日記書きでもあるかもしれません。
ちょっとした、他の方から見ればなんて事のないネタでも、私が書きたい! と思ったら、書かずにいられない。
二次創作とはまだ別次元の話ですね。

多少、関連はあるかもですが。

記事タイトルの「夢は枯野を…」、これ 松尾芭蕉の辞世の句の一部分です。
昨夜の「世界・不思議発見!」のテーマが松尾芭蕉の奥の細道。その中で、俳句の極意を伝える芭蕉の言葉として

「俳諧は事実に非ず。上手に嘘をつく事なり」

とありまして、おお、なかなか面白い言葉だと思いました。
つまり俳句も創作の世界、フィクション性を含むものだと。確かにちょっと現代風に考えてみれば、俳句が事実を伝えるものであれば、たった17文字の言葉で表すものはそれこそ記事のメモ書きのような物になるでしょう。それでは、人の感性に訴えるような物にはならない。俳句を俳句たらしめる為にだからこそ、たった一文字の使い方にも推敲を重ねる、と言うのがよく判る気がするのです。その一文字で、表す世界がガラっと変わるからです。
私のような、小説の中の一文字・一言葉をあれこれ差し替えてみてもそう変わらないような文しか書けない素人物書きでは、【推敲】と言う作業の出来るレベルはまだまだ先のように思います。

そして、まさしくその通り! と思った芭蕉の一言。

「全てを書かぬから、全てを表す」

細かな描写、この場合俳句ですからまず書きようがないのですが、ならば【自分】がその対象に対して【感じた事・思ったこと・感じた事】を17文字に凝縮して表現する。それは事実ではないにしても。

「荒波や 佐渡によこたう 天の川」

この句は、事実と照らし合わせると有り得ない情景だそうです。
芭蕉がこの佐渡を遠景に望む場所に来た時、季節的に佐渡島はもやがかかり、実際には見えないのです。また、荒波とは天候が悪い事を表し、本来なら天の川も見えないはず。では、この句で芭蕉が謳ったのは佐渡を望むその場所の美しさではなく、見晴るかす【宇宙の広大さ】。
それを、読み手の想像力に訴えた訳です。想像力は一人一人違う物。この句を読んで頭の中に広がる情景は、何万・何十万の言葉を書き連ねても表しきれないでしょう。それこそ、17文字の中の無限。

この感覚は、私も拙い文章を書きながら良く思っていました。
想像力を掻き立てる表現と、事細かに精緻に描写すると言う事は、時として相反する事が在ると。詳しく書く事で、情景が限定される場合があると感じていたのです。

私は古いタイプの物書きのようで、文章の言葉運びに基本として五・七調が根付いているようです。今では、私特有の【リズム感】で文章を運ぶせいか、殺風景なほど言葉を削り込んでしまいます。やはり【小説】としてみた場合、破調なんだろうなと思うのです。

拍手ぽちっv のお礼です。
ここ数日、本当に沢山の拍手をありがとう御座います。最初の頃、ちゃんと5番目の画面にエンドマークをつけていなかったので、6回単位での拍手を良く頂きました。申し訳ないので、昨日、ちょっと作業できた時に5番目の画面に「終わりv」の文字を入れました。もう少し、判りやすい画面作りを心がけますねv


お届け物、書き直し状況。

我ながら、びっくりです。もともとのレイアウトに戻したら、すぱ~んっっ!! となくても良さそうな文章が切り取られまして、四分の一くらいに文章を整理出来ました。段落の一文字下げを意識しすぎて、一文が元々短い傾向がありますから、改行ばかりして小さな段落ばかり作ってはいけないと思ってしまい、ついつい無理な長文化になっていたようです。そのせいで、切れに悪いものになってしまって…。
切り口もちょっと変えてみましたv 書こうとしている内容は、まったく同じものなんですけどね(^^) やっぱり、こちらの方が楽に書けますv こりゃもう、開き直るしかありませんね。正調の端正な文章レイアウトも憧れなのですが、私には向いてないなと言うのが良く判りました。これも【私らしさ】なのかも知れません

2005年09月11日 二次創作 トラックバック:0 コメント:0

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