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食育の話

色んな勉強の意味を兼ねて、公民館や区の市民センターや学校関係で開催される講演会などには良く出席する私です。

今日も10時から12時まで、最寄の区市民ホールで「食育」のスペシャリストを講師に招いて、講演会がありました。
なぜこうも「食育」が大きく取り上げられるのか?
国が音頭を取り、学校現場で新たに制度を導入してまで「食」の教育をする必要性…

これは裏を返せば、家庭での教育力の低下の表れですと。
本来なら、家庭でなされなければならない「しつけ」だとか「道徳心」、「知恵」の部分が弱体化しているからと声を大にして言われていました。

詳しい講演内容は追記にて。かなり長いです^_^;

その帰りに、近所のTSUTAYAに寄って犬夜叉47巻と鋼錬15巻を買おうと思ったのに…、まだ入ってませ~ん!!

そっか、そんなにここは離れ小島なのか。
がっくし(-_-;)

明日には入るかなぁ…






「知識」はあるのに、「知恵」がない。

食物・栄養学の教授でもあるこちらの講師が同僚の方から聞いたはなしです。比較実験をする為に、新鮮な卵と産卵後2ヶ月の卵を実習室に置いていたそうです。

すると、調理実習の時間にその卵を使って調理しようとした学生がいたので、その理由を聞いてみたら「卵は生で食べると、食中毒になる事があるからです」と答えたのです。

先生は、思わず心の中でその学生に突っ込みたくなったそうです。

( 食中毒の前に、その卵 腐ってるでしょうっっ!! )

同じような事で、魚の鮮度を子ども達に尋ねたら、氷の上に乗っている魚が新しい、と言う答え。

そんな実例を挙げながら、講師の話は続きます。
これは、どういう事でしょうか? つまり、前の前の代くらいまでは食卓や食事の支度などを手伝いながら親から子に伝わっていた常識や知恵の伝達が行われていないという事。コミュニケーションの低下、家庭内の会話の減少。

「食」と言うのは、つまり「命」の源です。
「食」を核にして日常で学ぶ事の有益さ、大切さ。

「食」を疎かにする事は、「生きる」という事を疎かにする事です。
なぜなら、食卓にあがる食材はどれもその「命」を私たちに提供してくれているからなのです。多くの人の苦労や努力の結晶。そう言う人の「気持ち」も一緒に頂いているのです、と。

それだけに、そういう会話が発生しない「個・弧食」にならないよう心がけてあげてくださいね、と。

子どもへの接し方も、また面白い事を言われていました。

「よく、ウチの子に限ってはって言うお母さんいますよね? あれ、ウチの子に限っては間違いない! まず、やってるっっ!! とくらい思った方が良いですよ。でも、そうであってもその子自身は信じましょう。やった事はやった事。やらない事を信じるのではなく、その子がどうしてそれをやってしまったのか、本当ならそんな事はしないのに…、ってね」

「そうして接しているうちに、本当の理由が判るものです。その接点を生み出すのが『食事』 とにかく、みんなで普通の食事をちゃんと食べる事。最初は、食卓に着かない事もあるでしょう。でも、これを気長に当たり前に続ける。後は『待ち』です」

まぁ、これも接し方の一例でしょう。

でも、何となく判る気がします。
胸に不安や不満を抱えていても、暖かい食卓に座る気持ちになれば、なんとなくどうにかなるかなぁ、って気持ちになりますからね。

またこの講師の方はそんなに大事な「食」だからこそ、使う食材や組み合わせで何倍にも効果が上がる方法を覚えたいですね。でも、それはそう難しい事じゃないんですよ。「日本の伝統食」を心がけるだけでいいですからねv 

基本はご飯とお味噌汁、魚と根菜をはじめとする野菜類。
味付けは出汁を効かせて、五味の塩梅をバランスよく。

3工程で済まされる「お袋(冷凍食品の事^_^; 袋を開けて、お皿に載せ、レンジでチンの3工程)」の味ではなく、1品でいいですからちゃんとお母さんの味を食卓に乗せたいですね、と話を締めくくられました。

色々考えさせられる講演でした。

2006年11月20日 ひとりごと トラックバック:0 コメント:0

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